武蔵高女は昭和十五年に創立され、初めは中野駅近くの仮校舎にいたが、昭和十七年武蔵境の雑木林の中、玉川上水近くの現校地に移った。昭和十六年、日本は第二次大戦に突入したので、武蔵高女の創立期は、まるで戦争とともにあったようなものであった。

 昭和十八年、戦局が苛烈になると女学生にも学徒動員令が下り、昭和飛行機工場、南部工場、日立航空へと、次々に高女第四期生までが学徒隊として動員された。生徒たちをどのようにしてすこしでも安全な受入れ態勢のよい工場へ配置するか、勉強からすっかり離れた生徒たちにどのようにして僅かでも学問の匂いを送り込むか、どのようにしたら両親のもとを離れて寮に入った多勢の女生徒たちの生活と心情を守っていけるか……先生がたのご苦労と悩みは、なみなみならぬものであったと思う。

 

 

 

 

 

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