<注釈トリビア〜第六部>
このページは、もとの文集にはなかったここだけのコンテンツです。
少女たちの手記を朗読されているストーリーテラー高階經啓さんによる、
注釈や新発見や楽しいトリビアが満載。
言葉の意味や時代背景などを知れば知るほど、
少女たちの手記をより立体的に読むことができ、
共感も深まるのではないでしょうか。
◆武蔵高女の生徒さんの思い出
・ 花も蕾の若桜、五尺のいのち引っ提げて
作詞は野村俊夫、作曲は明本京静、編曲は奥山貞吉。歌は酒井弘、安西愛子。 副題には、「学徒動員の歌」とある。
・ 料亭「魚久」「寿々喜」
それぞれ第一寮、第二寮として手記にたびたび登場する。ちなみに寿々喜は現在も「寿々喜家」屋号で営業中。
◆思い出
・ 営業統制
戦時統制といって、戦争を最優先するために、すべての産業や労働力を国家の統制下においたことを言います。食糧難の中、料亭など贅沢だ、営業するなと言われたのでしょうか。
・八王子の大空襲
Wikipediaを見ると“第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)8月2日にアメリカ軍が東京都八王子市と周辺の町村に対して行った空襲”で、八王子空襲、八王子大空襲とも呼ばれるそうです。
◆はからずも皆様再会のいとぐちとなって
・蚕室
カイコを飼う部屋のこと。当時、東京都羽村町あたりのエリアは養蚕業──カイコを飼って絹糸を生産する産業──が盛んで、大正7、8年(1918、19年)頃には、日本でも屈指の養蚕の村となっていたそうです。そのおかげで寮に使えるような大きな蚕室があったということのようです。
・P51
P51マスタング。第二次世界大戦当時、速さと運動性と積載量で抜きん出ていたそうで、当時の最優秀戦闘機と評されたとのことです。戦争末期には顔が見えるほどの低空で飛来し“動く物は全て狙う”機銃掃射にも使われたそうです。
・羽村町
現在の東京都羽村市の前身。明治ハネムラと読んで神奈川県だったこともあるようです。1893年(明治26年)4月1日、三多摩地域が東京府に移管されて、以後は東京。翌1894年に青梅鉄道、いまのJR青梅線が開業。