【当時の記録〜二人の方の手紙より〜】

 

  寮の生活

 その後お変り無くおすぐしでいらっちゃいますか。

そちらも今までのおさむさもうすらいでよい気候に

なって来たことでせう。

 東京はもう暑くて夏です。はや七月に入りました。

皆さんが三月末に疎開されてから三ヶ月となりました。(中略)

 私達の寮生活は他の寮よりもますます発展し今では

もう一つ新しい寮を開設して今度入所した二年生の

二十四時間教育の為に力を入れてをります。やっぱり

寮にゐると心づよい様な気がいたします。どうぞ

くれぐれも御安心下さいませ。

 このあひだは卒業する上級生をお送りする為の

送別会が青梅寮で盛大に行はれました。私も係になり

ましたので一日公欠をいただき色々と苦心して会場を

つくりました。ここは以前の料理屋で大広間だった

ものですからずーっとカラカミをぬくと立派な会場に

なります。そこで一夜は会社の関係の方や先生ご一同

をお招きして、この戦局下に無いたのしい演芸会を

しました。夕食はみんなの持ち寄ったあづきでお赤飯

が出来、演芸中は会社から牛乳とビスケットが配給

され、その外に家事の先生が苦心してつくって下さった

ヂャムパン、工員さんが家でとれたと云ってもって来て

下さったグリンピース、いり豆など半紙につつんで

いっぱい位いただきました。毎日毎夜お菜のにつけた

のばっかりたべてゐる私達にとってこの夜ぐらゐ

うれしいことはありませんでした。

でもいつもならとってもってかへり、みんなにわけて

あげられるのにと本当につまらなくおもひました。

 こんなおいしいもののことをかいてしまって本当に

失礼いたしました。でも栄養不足不足といふ私達も

かうした夜があってこそ元気に働けることを御安心

下さればうれしく思ひます。

 工員さんの妹さんがタイピストなのでこんなさゝ

やかな余興もタイプライターをうって下さり、

(※編者注:演芸会プログラム写真これ又立派な

プログラムが出来、内容の劇なども本職のやうに

よい真心のこもったえんげいでした。私もそのとき

おぼつかないものでしたが上級生をお送りするため

に六段をひきました。

 寮の生活も又かはった良さがあります。会社の方

のおはなしでは、この寮へはいってくるとなんとも

いへないほどなごやかな空気がみなぎってゐて思は

ずうれしくなるといふことでした。(後略)

 

 (昭和二十年七月一日付K.Y.さんの祖父上への手紙より抜萃)

 

 

 

 

 

   小作寮

 私もいよいよ今度小作の寮へうつることになりま

した。荷物が多くてたいへんだらうとは思ひますが

やっぱりこちらの方が安全なので皆様にも少しは安

心していただけるだらうと思ってIさんと二人で

ゆくことにきめました。八月一日からです。私はま

だ行ってみないのですがお友達のはなしによるとと

てもくわんきゃうがよいのださうです。ただ蚕室で

すから質素なものださうですがーでも自然につゝま

れてきっとよいと思ひます。さうして井戸のお水も

つかへますし多摩川も目の前だし、がけの上にたて

ば夜空一面のお星も仰がれます。(中略)職場に行

くにも歩いて三里ほどですからもし鉄道がだめにな

っても大丈夫です。どうぞ御安心下さいませ。

(中略)小作はおやさいも充分ださうです。今度か

らは電休日には自炊をして栄養をおぎなってゆこう

とも思ってゐます。

 

 (昭和二十年七月二十六日付祖母上へのはがきより抜萃。

Yさんの祖父・祖母上は長野県南佐久郡青沼村のN様方に疎開されていた。)

 

 

 

 

 

※文中の個人名はイニシャルに変更、その他のテキストはすべて原文のままです。)