<注釈トリビア〜第四部>
このページは、もとの文集にはなかったここだけのコンテンツです。
少女たちの手記を朗読されているストーリーテラー高階經啓さんによる、
注釈や新発見や楽しいトリビアが満載。
言葉の意味や時代背景などを知れば知るほど、
少女たちの手記をより立体的に読むことができ、
共感も深まるのではないでしょうか。
◆二寮の寮長として
・P51ムスタング
マスタングとも。第二次世界大戦当時、速さと運動性と積載量で抜きん出ていたそうで、当時の最優秀戦闘機と評されたとのこと。戦争末期には顔が見えるほどの低空で飛来し、“動く物は全て狙う”機銃掃射にも使われたそうです。
◆動員時代の想い出
・ 南拝島公園・瀧山
疎開退避命令で逃げた場所として名前が出てきます。いまはもうこの名前は見つかりませんが、昭島市の多摩川沿いに拝島公園や拝島自然公園というのがあって、川を渡ると都立滝山公園というのがあって、滝山城というお城の城址、城跡があるようです。
・ シャー
板金やアルミをいとも簡単に切断できる便利な電動工具だそうです。
◆ざくろの花
・竹台高女
都立竹台高等女学校。現在の東京都立竹台高等学校。創立当時は上野公園凌雲院内にあったそうです。
・陸軍造兵廠
東京第一陸軍造兵廠。北区十条付近にあったそうで、いまも遺構が点在しているとのこと。
I.T.さんの働いていた場所を辿ることができるかもしれません。
・軍人に賜りたる勅語
正式には「陸海軍軍人に賜はりたる敕諭」。通称「軍人勅諭」。
変体仮名交じりの文語体、総字数2700字におよぶ長文であるが、大日本帝国陸軍では将兵は全文暗誦できることが当然とされ、海軍はその限りではなかったそうです。
◆寮生活の想い出
・ 大豆入り御飯に、炒り大豆のおやつで氷川行
説に、当時青梅線“下り”の終点は氷川であった、とあり、“下り”には傍点がついています。
つまり、大豆ばっかり食べすぎてお腹を壊してしまった、それも終点まで行っちゃうくらい
最大級に下してしまったという、一種の符牒のようなものでしょうか。
◆寮の演芸会
・「死んでもいゝそうです」
お気づきだと思いますが、「寮の演芸会」のK.S.さんは、「ざくろの花」のI.T.さんの妹です。
二人とも旧姓はYさんで、空襲のさなかお姉さんのI.T.さんが「死んでもいいから寝ている」と
避難しなかったエピソードでつながります。
二人はそれぞれ別な女学校に通っていたのが、親のたっての希望でお姉さんが昭和飛行機のほうに来た理由は、お姉さんの方が遥かに危険で、遥かに多くの死者や負傷者に囲まれたシビアな日々を送っていたからかもしれません。
性格が対象的だっただけでなく、この姉妹は見てきた現実も全然違ったんだなということに気づきます。
◆小作寮の思い出
・小作へ工場が疎開し、私達も工場近くの農家に寮が移ったり
元々の飛行機工場はその名も昭和飛行機前という駅前にありました。現在の昭島駅で、いまも昭島から青梅線に乗って少し青梅方面に向かうと右手に昭和飛行機工場があります。
戦争末期になって、ここが空襲の標的になるようになってから、工場機能の一部を、そこから4,5駅青梅方面に移動した小作というエリアの雑木林の中に移転しました。通称「小作工場」といって半地下の工場だったようです。その後小作寮という寮も近くにつくられます。
◆当時の記録(手紙)
・ 公欠
公認欠席ですね。学校がやむを得ない事情と認めて欠席扱いしないというもので、いまもこの言葉は使われているみたいです。
・カラカミ
唐紙障子の略で、要するにふすまのことです。