再会のあとで

  (H、旧姓N先生)

 

 過日はいろいろお世話様になりました。おかげさまで夢にまでみた皆様のお元気な姿に接し、ほんとにうれしく思いました。

 何かにつけ、考えますのはあの頃の皆様はどうしていられるかということでした。それが皆様そろってお元気に成人され、立派になられ、こんなうれしいことはございません。テレビをビデオにとり、何回もくり返しくり返し拝見いたしました。あの頃は私も生徒と同様の気持で誰かに泣かれますと一緒になって泣きたい心持でした。会社で艦載機におそわれました時、ジュラルミン板のかげにかくれ、銃の弾がはねかえる音を身をすくめて聞いたことなど、何か昨日の出来事のような気がいたします。今、写真をお送り頂き、過日のよろこびを再びかみしめております。文集が出ます由、たのしみにしております。あの頃の生活をまとめてとの事ですが自分が夢中で毎日を送ってしまい、目を方々へやる余裕がなかったため、何ともまとまった文章になりません。ただ私なんかより皆様の方がずっとけなげで立派であったということぐらいです。あしからず。お多忙にもかかわらずお世話役ほんとに御苦労さまです。どうぞこれからもお元気におすごし下さい。又機会がありましたらお元気なお姿に接することが出来るとたのしみにしてます。

 武蔵はほんとに先生方も生徒の皆様もすばらしいと思います。その一員になってる自分をほんとに幸せ者と思っております。私も学校の経験は武蔵しか知らずにすごしてきましたが、最近名古屋の愛知県立高校に就職してそれを一層強く感じております。ほんとにほんとにすばらしい武蔵であるということを、そのすばらしい武蔵を母校に持つ皆様が、ほんとうにうらやましく存じます。皆様どうぞお身御大切に、御礼まで。

 

 

 

 

 

美しき悪夢

  (A先生)

 

 企業の本質は独占か、自己破壊。

 国家間の現代的危機は、世界国家樹立促進。

 悪夢のあとには美しき、花園ありという。

 

   初空襲

 昭和十七年四月十八日、桜の花が咲いていた。

 西に向かって飛んでいった、見なれぬ飛行機一機。

 超低空で飛んでいった、旧武蔵高女上空を。

 その後から空襲警報が、うめくように鳴った。

 ドーリットルが艦載機で、東京の空を探る。

     ああ制海権はもうないのか。

 

   F教頭挙手の礼

 毎日朝礼の式が行われる、校庭で。

 女子生徒はみんなモンペ姿、男は戦闘帽。

 報国団が結成された、校友会が解散し。

 F教頭挙手の礼をする、M校長直立不動。

 

   校舎移転

 昭和十七年九月二十五日、境の新校舎に移る。

 教師はモーニング、生徒はモンペ、移転式挙行。

 Aと生徒の一部は百姓姿、百姓実演をみせる。

 人糞を運んでかける、校庭を掘り、種をまき。

 人糞を運ぶ少女の顔には、いやな臭いはない。

     まことに前代未聞の移転式。

 

   S校長着任

 昭和十八年十月十九日、二代目校長着任。

 新校長ひょうひょうと来る、生徒は整列。

 闇二円でも入手困難になったイモ、一貫八銭。

 体重測ったら十二貫三百、十五貫がやせ。

 配給食だけで死んだ、京大教授ほか何人。

 生徒は毎日農家へ農事手伝、校長は防空壕作り。

 ブヨに食われた足と手で、イモズイキ取り。

 校庭はくる日も、防空訓練、下校訓練。

 はたまた通信網訓練、耐寒訓練、もう学校はない。

      雄々しく働く少女、だれ一人不満をいわぬ。

 

   昭和飛行機工場へ動員

 昭和十九年五月二十九日だった、三年生初動員。

 国家総動員法の発動による、くる所まで来た。

 十六または十七才の少女、神風を信じつつ。

 モンペ姿が休みもせず、心かけて飛行機を作る。

 モロコシ飯を食い頬はこけ、手ははれ眼は充血。

 必ず勝つよと信じさせられた、少女あわれ。

 見廻る仕事のたび毎に涙す、許せわが教え子。

     何んなのか、戦争とは、平和とは。

 

   南部工場へ動員

 昭和十九年十月だった、四年生南部工場へ。

 銃をつくる仕事だった、一億みな死ねという。

 少女らは誰れ一人泣かなかった、みんな強かった。

 自己をみつめる姿あわれ、苦痛を乗りこえ。

 瞳の奥に美しき光あり、たとえ眼は窪んでも。

     校庭の桐一葉、音もなく散る。

 

   空襲また空襲

 昭和十九年十一月四日、警報が泣きながら鳴る。

 B29が雲にかくれてポスッポスッと、焼夷弾。

 そのつど火炎もうもうと上り、また何人か死ぬ。

 それをバケツで消せという、指導者おろか。

 ついにくる日もくる日も、二十四日、二十七日、三十日は

 中島飛行場がもうもうと燃えるを、校庭から見る。

 トタンで囲った家だった、F先生の家は。

 モグラのように地下の家だった、K先生宅。

 トタン囲いの家だった、M先生の宅。

 焼かれた少女たちの家もみんな、同様だった。

 やけ糞になって鳴き立てた、警報が今日もまた。

 神風隊の小さい一機舞い上る、B29へ体当たり。

 朝日にキラキラ光って落ちる、日本機の破片。

     ああまた神風隊少年一人死んだ。

 

   日立航空へ動員

 昭和十九年十二月の暮れだった、二年生の動員。

 その夜心うずき眠れず、Aが学年主任だ。

 お前もまた国の名で飛行機造りか、十五才の少女よ。

 怒り悲しみ詫びがこもごも、私の心を引き裂く。

 工場には軍人が沢山いて訓辞した、一億総動員。

 教えることを棄てると、もはや教師でない。

 食後各群から一人の少女を集める、伝達授業。

 十五分間数学国語が教えられる、ノートとる。

 各群ごと休憩時間に友が友に、伝達して教える。

 それが何になるのかと、人々は笑う。

 学び求める心と積み重ねる態度だ、自己発見とは。

 これらの背景にあるものこそ、われは求める。

 求めるところこそ、そうごんな生命があるのだ。

 

   雪の松林

 日立航空がB29の目標になった、危険近づく。

 身近にドスンと焼夷弾落下、高射砲破片飛び散る。

 幸にも少女らは助かった、工場一部燃える。

 翌朝われ一人五時起床、イモカユすすり、立川へ歩く。

 立川からさらに歩いて工場へ、今朝は大雪だった。

 松林の松につもった雪が、朝日にまぶしい。

 そこには人のみにくさはなかった、純白と静寂。

 ゴム靴の残す足跡長長と、うねり続く松林。

 Aは工場から引揚げて帰れと、学校の急便。

 少女らとの別れに心残る、教頭になる為だった。

 S先生にあとをまかせて、別れの心に涙。

 

   終戦 — 負け戦

 昭和二十年春来たけれど、われわれに春はない。

 あれはてた焼かれた家に、真黒な死体がある。

 少女たちの工場通いももはや、危険で一杯。

 青梅にある料理屋を借り、青梅寮とする。

 S先生夫妻が寮監、少女たちと泊り込む。

 そこから工場へ通う、寮の夜は総てを忘れ。

 昭和二十年八月六日の真夏だった、広島原爆。

 一瞬にして焼けただれた、何十万の人人が。

 皮膚から肉がはみ出していた、着物は焼け。

 わが子の上に焼け死んだ母、下の泣声あわれ。

 痛かったろう、熱かったろう、苦しかったろう。

 こんなむごいことをする人間、あってよいのか。

 怒りは私の心を引き裂いた、人とは何かと。

 八月十五日終戦の言葉をきく、ラジオに涙あり。

 動員された働いた少女らは、何んの為だった。

 わが教え子許されよと、とめどなく涙あふれ。

 わが心のなかの矛盾が、しきりと荒れ狂う。

 戦い終って廃墟に立ち、阿南陸相自殺した。

 真赤な落陽を廃屋の上に見て、さめざめと泣く。

 悪夢からさめてふと見れば、焼け地面に数本の。

 タンポポの花が咲いていた。可憐、少女のごと。

 お前たちみんなけなげだった、わが教え子よ。

   × × × ×

 それから三十年の歳月が流れた、夢のよう。

 夢はさめるものといい乍ら、まださめぬ悪夢。

 さらに恐ろしき人類の終末が、間近に迫るという。

 それもこれも人間のしわざ、自然は悠久。

 悪夢を誘う悪魔は、それぞれの、人の内にある。

 再び地獄に落ちたのはなぜか、カンダタよ。

 こんこんと湧き流れる泉のごと、愛はつきぬ。

 全人類への愛と、それを支える高次な哲学。

 愛あるところに神ありと叫んだ、トルストイ。

 あの少女たちの汗と涙に報いるものは、そも何か。

 この地球上に平和と愛をもたらす、そのときこそ。

 机上のベコニアの花一りん、音もなくおちた。

 (感情のおもむくままにつづった自由文体です)

 

 

 

 

(※文中の個人名はイニシャルに変更、その他のテキストはすべて原文のままです。)